どうせ、君は魅力的だからうまくいく

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読了時間: 4 分

(2024年12月27日のYOUTUBE再掲載)

音声配信

目次

00:00 人間の可能性を諦めない人の魅力 00:40 「所詮人間は」の裏にある本音 01:50 自己研鑽と他者への信頼 04:00 理解者の希少性と可能性の循環 06:40 深夜のアップロードに託した想い

全文文字起こし

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私はどうやら諦めたふりをし
ながらも、心のどこかで、
人間の可能性を諦めきれないって
いう人に魅力を感じる
らしい。というのも、
私自身が人間不信でなんか人を信じ
きれないっていう時に人
の温かみに触れると、
なんか人間捨てたもんじゃ
ないなって思うから、
多分それでなんか共感したりなんか
人間の可能性を諦めてない人に対し
てどこか魅力を感じさせられる
のだろうなと思う。
そういう人が語る所詮人間はとか
どうせ人間はとかって語る
人の言葉の裏には、
一見すると冷めた視点で人間を
見つめてるかのように思える。
その言葉なんだけど、
実は矛盾とも言えるような人間の
深い関心とか興味あるいは期待が
隠されていることが多いとどういう
ことなのかナオさんっていうと、
まず所詮っていうのは期待
の裏返しなのねだから、
失望から始まってるのね。
所詮っていう言葉が人間はっていう
のは関心がなければ出てこない最初
から関心、無関心の場合は所詮人間
はっていう言葉は出てこない
ということはどういう
ことかっていうと、
関心を向けて失望してる
っていうことだから、
願望としてはこの所詮人間はこんな
もんだろうっていうのをいい意味で
裏切ってくれる人の存在
っていうのが欲しい。
そして人間の可能性はこんな感じ
じゃないはずなんだってもっとある
はずなんだっていう何かが
こう、
所詮人間はっていう言葉の裏には
潜んでいるような感じ
がさせられる。で、
どうして人間の可能性を信じ
切れるのかっていうと、
こうした人っていうのは過去の行動
とかみてると分かるんだけど、
自己研鑽への意欲が非常に高かっ
たり自分に対して厳しい
目を向けてる
そして恥じない生き方をしようとか
あるいはより良い生き方をしよう
とか自分の能力を色々
な人に役立てたいとかあるいは社会
に役立てたいとかそういう思い
が自分自身じゃなくて色々
なところに向けられているから、
当然ながら他人にも目
を向けられていると
そうして自分がもっと成長できるん
だったら他の人もきっとできるはず
だという信念がそうした人の行動や
思考の根底にあるのだとだからこそ
人が持つ可能性を簡単には諦められ
ないしむしろなぜそこに到達しない
のかという疑問や焦りが所詮という
言葉になってしまうのだろう
なぁとふと考えてきた
だから、
なんというかこういう人っていうの
は周りに同じぐらいに関心を寄せる
人なんというか自己
成長とかあるいは
より良い方をしようとかそういう
ことをできてる人が周りにいれば
そういう所詮人間はっていう言葉は
多分出てこないと思うんだよね。
なんだけど、
自分の周りにいないから出て
きやすいのではないのかなと思うん
だよね。これは勝手な想像ね。
勝手な想像なんだけど、
いるかもしれないんだけど、
少ない少なすぎて逆にこれ大丈夫
なのみたいなもっと人々
はそういうより良い生き方をした方
がいいのではないかとかなんで
こんなことが起きえるのか
とかどうしたらこんな
ことが起こらないようにできるのか
どうすればより良くなるのかそう
いうふうなことを考えるのではない
のかなと思ってしまう。だから、
自分の周りにそういう人がいたら
同じような人とかあるいはその可能
性が見込める人がいるのならばそう
いう人を応援したくなる
のだと思うのだよね。
思うのだよねって変な日本
語だけど思うのだと思う
だからなんていうかなそういう人が
いれば多分いいのだろう
と思うのだけれども、
ただそう
いう人がその可能性を示してくれる
のはものすごい優し
さなのだと思う。
なかなかそういう人はいない
と思うのだ。だから、
その
なんというのかなぁそういう人に
必要なのはやっぱり理解者なので
はないのかなと思ってるし、
多分その人に合うそのレベル
の人じゃないと多分
難しいんじゃないかなとも
思うんだけど。だから、
可能性を見込める人とかあるいは
自分と同じレベルの人が近くにい
ないとっていう意味ではまず自分と
同じレベルに引き上げる
必要があるから、
人が持つ可能性を伸ばしていくって
いう方向性しか道はないような気も
するんだけどでも全くいないわけ
ではないと思うんだけど。
そういう人が増えていくことによっ
てなんかより良くできるのかなとか
っていうふうにふと考え
てみたんだけど。
まぁでも私よりもそういう人って
いうのはすごい優れた能力を持って
いるからその人間性も高いし当然
ながらそういう人っていうのは
どうせ魅力的だからうまくいく
でしょうということで、
私はこの恥ずかしい夜中に
人も見られないだろうという深夜に
アップロードすることによって誰も
見ないだろうということを安心して
アップロードしてみようと
思います。以上です。

動画の補足的な説明

どうせ、所詮人なんて、いう人ほど期待が隠されていることについては、心理学用語では、「理想主義的共感」、「希望の投影」と深く関係しています。 自分の中にある希望や理想を他者に投影することで、「まだ人間に希望がある」と信じたい欲求が働く。

その「諦めきれない姿勢」が、自分の「絶望」や「疑い」に対するアンチテーゼになる。 自分では完全に信じられなくても、誰かが信じてくれている姿を見ることで、自分も信じ直せる気がする。

逆説的なアンチテーゼと機能しているんですね。

また、「所詮」「どうせ」は心理学でいうところの**「防衛機制」+「逆説的関与」に関わってきます。

無関心な人は、どうでもいいといわずに、語ることすらしません。 、また、「自分の成長が他人にもできるはずだ」という投影的信念という概念もあります。

と、このように自分の考えを出すと心理学に基づいていたりする発見があるので、一度仮説を出して検証して本当にそういうことが起こりえるのかを確認するのも私のやりかたです。

ナオ

著者: ナオ

統合失調感情障害/角化症/元デザイナー/元フロントエンドエンジニア 「完璧な人間なんていない」が私の信条です。 限界はあるけれど、可能性はあると信じて生きています。

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