病んでいる時ほど、文章は攻撃的になりやすい、本人は攻撃したい、わけじゃないんです

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記事タイトルが長いのは最近のラノベタイトルっぽくつけてみたかっただけである。

(どうでもいいwwww )

そうそう、病んでいる時の文章ってなぜあんなに攻撃的になるのかを話していこうと思う。

たとえば、同じ意見を主張しても 文章の最後に「あくまでこれは私個人の意見であり、ご参考程度にしてくださいね」 と付け加えることで、読み手側がどう判断するのかにゆだねていれば、主張がそぐわなくても反感は得られにくい。

しかし、文章の最後に「私の考えに同意できない方は、レビューしないでいただきたいです。 また文章を読むことは今後控えてくださるよう強くお願い申し上げます。」 などと書けば、反感を持たれやすいだろう。

しかし、こういう文章って背景を考えると、病んでいる時や余裕がない時に書いてたりするわたくし、冷静になった時に見れば、何言ってるんだ感が出る。

まあ、それは必要以上に自分を守らなくてはいけないという過剰防衛が入るからなのだろう。

攻撃的な文章は、自分を守りたいから だから攻撃しないでのサインなのだ。

ただ、読み手側が、文章の背景にある人の気持ちを読んで、「ああこの書き方している人は、自分を見つめられていないから、仕方ないなぁ」と優しく見てくれる人もいるかもしれないが、そうではない場合、期待通りの反応が来ないことも当然あるし、仕方ない。

病んでいる時ほど冷静になれず辛い思いをしているから、文章に余裕がなく、対応も不十分になる。

しかし、病んでいる時ほど、SNSでつぶやきやすいし、なぜか落ち着くのものだ。

一種のジャーナリングかと思う。

しかし、そんなときに冷たい反応は追い打ちをかけて辛くなると思うので、 私は、一人鍵垢を作っておいて病み専用独り言を用意してみる方法もありかと思うのだがいかがだろうか?

それなら、誰にも迷惑や心配をかけずに一人の世界を満喫できる。

だからこそ、病み専用アカウントで好き放題につぶやくことで普段のつぶやきと分けて、自分を守るのもありかもしれないしありかもしれない?

ちなみに、SNSに現れる見えないSOSでも取り扱っています。具体的なことはこちらで。

補足:実は脳科学や心理学でも実証されている・・・?

ちょっと難しくなるかも。

攻撃的な文章が「自分を守りたいから」という洞察は、心理学の防衛機制そのもとのといわれていて、脳科学的には、ストレス状態では恐怖や不安をつかさどる扁桃体(へんとうたい)が過活性化(=つまり暴走)し、前頭前野の理性的判断が抑制されます。

平たく言えば、「冷静になれず」「文章に余裕がなく」なる生理的メカニズムです。心理学や脳科学でいえば、防衛機制と脅威検出システムが働いているから。

病んでいる時は認知リソースが枯渇状態にあります。通常なら「相手の立場で考える」「適切な表現を選ぶ」といった高次認知機能に使える脳のキャパシティが、自分の苦痛を処理することで手一杯(認知的負荷理論)になってしまう。だから「対応も不十分になる」んですよね。

「一種のジャーナリング」とは、心理学では表現的筆記(Expressive Writing)が感情調節に効果があることが実証されています。病んでいる時にSNSでつぶやきたくなるのは、無意識にこの療法効果を求めているのかも。

「一人鍵垢で病み専用」というアイデアは、心理学のコンテインメント(containment)理論といいます。感情を適切な「容器」に収めることで、他の領域への影響を最小限に抑えられる。まさに自分を守るための戦略といえます。

病んでいる時の攻撃性って、本当は「助けて」のサインなのに、それが伝わりにくい形で表現されてしまう悲しさがありますよね。

ナオ

著者: ナオ

統合失調感情障害/角化症/元デザイナー/元フロントエンドエンジニア 「完璧な人間なんていない」が私の信条です。 限界はあるけれど、可能性はあると信じて生きています。

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