完璧な人間なんていない

📖著者: ナオ

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今回は私の信条について語りたいと思います。
完璧な人間なんていないとよく言っている私ですが・・・。

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完璧(かんぺき)人間(にんげん)なんていない

(わたし)たちは機械(きかい)じゃない。

完璧(かんぺき)人間(にんげん)なんていない。

(わたし)たちは、()まれる(まえ)に、(おや)(えら)べないように 遺伝子(いでんし)生育(せいいく)環境(かんきょう)自分(じぶん)たちで(えら)べない。

(わたし)たちは、絶対(ぜったい)障害(しょうがい)病気(びょうき)あるいは老化(ろうか)(ふせ)ぐようにように(からだ)ができてない。

完璧(かんぺき)人間(にんげん)になれるなら、 (だれ)もが善良(ぜんりょう)人間(にんげん)だったはず。

そして、(だれ)もがそうじゃないことを(わたし)たちは()っている。

だからこそ、 そんな世界(せかい)だからこそ、 (わたし)は、 (ただ)しいことより (やさ)しさを(わす)れずにいる人間(にんげん)でありたい。

完璧な人間なんていない とよく言っている私のこと

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これは2023年のツイートである。

私がなぜこのようなことを書いたのかは覚えていないが、

病気であった時に、多分頭がフル回転していたのだと思う。

まぁそれはおいておいて。


人間は、誰しもが間違う前提の中で生きている。

だから、自分や誰かの発言も必ずしも正しいとは限らない。

そんなの当たり前だ、と思った方も中にはいる方も知れない。

しかし、驚くほどに人は偏見や思い込みで非合理的な判断をしているということが心理学の研究で分かっている。

心理学用語で「認知バイアス」といわれているものだ。

例を出そう。

「権威バイアス」という認知バイアスがある。

これは、権威性のある人が支持したことは正しいと思ってしまう認知バイアスだ。

1963年に実施されてきたミルグラムの実験で明らかになっている。

強大な権力を持つ誰かに、人を殺傷したり残虐な行為を命じれた時、良心の呵責に苛まれながらも、6割から8割を超える人々が命令に従ってしまうというものだ。

そう考えると、人間は非常に弱い生き物であるという事を自覚した方が、まだましなのではないかと私は思う。

ミルグラム実験について: 1963年にイェール大学の心理学者スタンレー・ミルグラムによって行われた「権威への服従」に関する有名な実験だ。実験では、被験者が「教師」役を与えられ、「生徒」役(実は実験協力者)に対して、間違えるごとに強度を上げた電気ショックを与えるように指示された。実験の結果、驚くべきことに6〜8割もの一般人が、実験者という権威者からの指示に従って、良心の呵責を感じながらも、相手が苦痛を訴えても電気ショックを与え続けた。この実験は、ナチス時代のホロコーストなどの残虐行為がなぜ可能だったのかという問いに対する重要な心理学的知見を提供している。

自分はこうはなるまい、と思うよりも、こうなってしまうかもしれないと危機感を覚えていた方がまだましだと、私は思う。

騙される人ほど、騙されないと思っているからである。

正義中毒という闇

あなたは「正義中毒」という言葉をご存じであろうか?

正義中毒という言葉の通り正義に溺れてしまった結果、集団のルールを乱す人を制裁しなければいけないという思いが強くなることだ。

悪は罰さなければいけない、という偏りから、エスカレートしていじめが起き、結果的に相手が死ぬまで追い詰めてしまうことになりかねないのが、この正義中毒である。

正しいか正しくないかの二軸では判断できないことが世の中にはたくさんある。

正しいか、正しくないものは悪だと決めつけるのは安易だ。

たとえば、カルト宗教などが分かりやすいが、カルト宗教に入ったものが他の人の意見を聞き入れなくなるのは、一つの事柄を正しいと思い込みすぎているからだ。

仮に正しくても、他人が受け入れるかどうかは他人の問題だと割り切ることもある程度必要だと思う。(法や倫理的な問題もあるから、どこまで許容するかはその事例にもよると思う)

自分の考えに染まりすぎないための三つのこと

自分の考えが正しさに染まりすぎないためにも、

私は、三つのことを提案したい。


  1. 自分の考えを常に疑い、自分と異なる意見に触れる機会を増やすこと。

  2. 正しい、正しくないという枠で見るのではなく、あくまで仮説であるという余地を残しておくこと。

  3. たとえ他人が正しくなくても、ある程度は、人間だから、仕方ないという寛容さを身に付けること。


それは、自分が間違えた時にも言える。

ちなみに、余談だが、私が自分の考えを疑うようになった本のきっかけは、

「99.9%は仮説」という本だ。

高校時代に読んでいたが非常に面白く、科学というものは二転三転転がるのかと楽しめたものだ。

自分と他人は違う。

他人は、他人の思考で生きている。

だから、発言する人は、相手の解釈や知識、能力それらを踏まえて、理解できないことを前提に受け入れた上で、発言する。

正しいと思ったことにはデータを添える。

疑う余地を残しておくことも必要だ。

一方、聞き手側は、

「誰が」発言したかよりも「発言内容」を鵜呑みにせず、

「根拠はあるのか?」 「本当にそう考えられるのか」

を疑いながら自分の中にある答えと照らし合わせながら考えるということも大切だとは思う。

もちろん、この話も仮説にすぎないといっておこう。


なぜなら、私もあなたも完璧な人間ではないのだから。