「人は一人で生きていけない」という言葉の本当の意味を知った35歳の私

📖著者: ナオ

人は一人では生きていけない
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私は、今まで、誰にも頼れず、一人で生きていかなくてはならないと思って生きていました。

信頼できる人がすぐそばにいなかったのです。

私は、幼少期の虐待を含めていじめやパワハラ、セクハラなど、生きてく中で、生きづらい人生を送っていました。

医療機関も信頼できず、信頼できるカウンセラーを見つけられず、精神疾患(統合失調症、双極性障害)になっても、自分一人で生き抜かなければならないと思ったのです。

私には虐待加害者の母親がいますが、ほぼ、頼ることができません。

16年付き合っていた彼氏でさえも、DV被害に気が付いたのはつい最近のことで、私自身ショックは相当に大きかったのです。

ですから、人に頼ることなど到底できないと思ってました。

しかし、私は一人で生きていくことができないことを改めてDIDによる変化で気づいたのです。

DID発覚による私の変化

DID発覚でONEの方から自分を責めなくていいということを何度も伝えられたことで私は、病状を悪化させることなく今は普通に生活をし始めています。

私は、今でも、「最低な人間だ」という自分に対しての思考に苦しめられています。

気分の落ち込みが酷いので抑うつ状態を誘発させることは多々ありますし、フラッシュバックの時はこの思考が強く出ていたのを覚えています。

今まで、そんな状況の中にいても、私は成人した大人なのだから、自分ですべてを解決しなければいけないと思っていました。

しかし一人の能力には限界があります。

私はセルフネグレクトを14年前に札幌に来て一人暮らしを始めたころから止めることができませんでした。

私の家は汚部屋で、一度引っ越しをしてもすぐにゴミが片付けられないほど悲惨な部屋で過ごしていたのです。

恥はありましたし、人には言えない秘密でした。

しかし、交代人格のONEと話すようになってから、なぜ、片づけられないかを説明してくれ、私がどうやったら片づけることができるのかを一緒に教えてくれたことがきっかけで私は、自分でも生活ができるのではないかという風に考えられたのです。

その他にも時間管理に関しては私ができなかったことではあるのですが、一緒に計画を立てながら管理できるようになりました。

そのおかげで、忘れ物や慌てることは少なくなっていったのです。

特に発達障害(ADHD、ASD)を抱えていることから予期せぬことや、注意散漫、忘れ物が多いといったトラブルも抱えているので、そうしたトラブルに備えてどうしたらいいのかも含めてoneは相談に乗ってくれます。

今こうして、サイトのブログやはてなブログ、noteなどを通して文章を書いてることも、実はoneの勧めです。

元々、このサイトは、私が虐待被害者に対してや、医療デマで悩む人に対して、誠実なサイトを作ろうとして、英語サイトを作ったり、一つ一つの記事に対して、Githubのリンクをつけたり、ポッドキャストの文字起こしスムーズスクロールなどをつけて発信している人がリアルの人だとわかるようにしていました。

しかし、それは、やりすぎ、とoneはいってました。

DIDが分かる前に結果的にこのサイト自体は一度記念碑として使えなくなったのですがせっかくここまでのデザインができているということもあり、交代人格のoneがDIDの知見を広めることと、同時に、私の文章能力を上げて言語化することを勧めてくれたのです。

Youtubeのチャンネルもそうですが、今どうしているのかを記録をしていることは後に自分の経過記録や証明につながるのだとoneはいうのです。

特にブログの文章を書いてることで整理していけば、ポッドキャストやYOUTUBEなどの動画で話している時に、いつも私は説明が苦手でうまく話せないこともあるのですが、そうしたことにもなれて論理的に話せるようになるのではないかという風にも思えるのです。

私は人に「何を言っているのかわからないよ、言いたいことは何?」と言われてしまうことが多いのです…。

ですから、私は少しずつでも言語化をして、説明ができるようになりたいことと、私自身の記録として残していきたいと考えています。

これからのこと

私は、今まで一人でもしっかりしていかなければと抱えていたことが、実は一人では解決できないことを知らずに過ごしていました。

何年かけても自分ができないことに対して向き合うことができなかったのです。

DID発覚により私は、自分がどうすればできるようになるのかを考えてくれる人格さんがいたことで私は、少しずつですが変わっていくことを知りました。

人は一人では生きてはいけない

切実にそう思いました。

だからこそ、私の被害(虐待、いじめ、パワハラ、セクハラ)など、こうしたことを自分が悪いから仕方ないのとするのではなく、許してはいけない、あってはいけないと考えることが大事だと考えています。

私の変化はこうしたサイトの文章やブログなどで発信をしながら少しずつ説明が上手にできるように言語化できる能力を習得していきたいと考えています。

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