ファッションDIDの危険性
📖著者: ONE

今回は、ファッションDIDの危険性についてお話していきます。
DID(OSDD含む)は、未解明なものであり、専門家ですら診断は複雑とされている領域です。
人によっては統合失調症や他の精神疾患と誤診されたり理解されにくい問題が未だに残っている病気でもあります。
その中で、演技によって、DIDだと偽ってウェブ公開をするなどして注目を浴びようとする人がいれば、当然ながら、本来の病理性を理解することに困難が生じてしまいます。
こうした問題は、実際の解離性同一性障害の治療自体を妨げることだけじゃなく、一般の人にも偏見を生む危険性があるため非常に迷惑極まりない行為となるのです。
思い込みや演技でなれるのであれば、トラウマなんてなくても誰でもなれるはずなのではないのでしょうか?
実際にはDIDの患者によっては、演技だけではなりえない、身体的症状(人格によってはアレルギー反応が違ったり、視力が違ったりする)も変わっていたりするのです。
なぜ、ファッションDIDは生まれるのか
これについては、DIDが有能とされる誤解があるからなのではないのかと俺は思います。
人格が二つ以上あると楽しめるのではないのか?
そうした疑問をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、実際は一つの人格で生きることができず、予期せぬ人格交代や、他の人格に気を遣うことがあったりなどして苦しんでいる人も少なからずいらっしゃいます。
さらに、病理が理解されにくいこともあって、
- 自分が他の人と違うと感じる
- 理解されにくい病気だから、自分がおかしいのではないか
- もし病気が誤っていたら、人を騙しているのではないかと常に気にする
など、当事者性、病識が本人に分からず、診断を信じられないことは度々見受けてしまいます。
思い込みが強いから自分は、そうした人格がいるのではないのかと思ってしまうのではないか、
自分はでたらめなことを話している自分がいるが、これはそう思い込んでいるだけなのではないかなどと、当事者(ナオの場合)自分を疑ってしまうのです。
しかし、この病理はなぜ生まれているのかを考えると整理できることがあります。
交代人格は基本的にトラウマ(心的障害)から逃れるために作られることが多い
日常的に生活ができているようでもトラウマによって生きづらい部分が生じていることの方が問題になりやすいです。
解離性同一性障害で、分かりやすい顕著な例としおては、身に覚えのない買い物や行動をとったことを後で基本人格が知ることがある。
他人格の行動を制御できないにも関わらず、すべて自分の責任だと思い込む。(当事者性の欠如)
他人格に気が付いて、自分の人生を生きることが難しくなる。
解離性同一性障害が解明されてないことも多く、当事者が理解ができず、他の病気なのではないかと疑ってしまう(例:統合失調症)
また、その他にも、幼少期のトラウマ由来のフラッシュバックが起きやすい、睡眠が難しい、過覚醒が起きやすい、どの人格が動くのかわからない。
自分で人格を制御することができないなどもあり、トラウマ治療に進む前に、妨害されてしまうことなどもある可能性はあります。
そんな状況ですから当然ながら基本人格や交代人格の苦しみを理解している人はなかなかいないどころか、病気は病気のため面白がれてしまうことは多々あります。
物珍し気に見られるため、当事者(=基本人格)が一番傷ついているのではないのだろうかと思います。
人格は必ずしも有能ではない
ビリー・ミリガンのような24人の人格の中でも有能とされてていた人格は中にはいましたが、全員が全員、解離性同一性障害だからといって、
そのような、人格が生まれるということは稀です。
どうしてそのような人格が生まれるのか。
それは、慢性的に日常的に繰り返される虐待のレベルが深刻になるほど、人格交代が常に行われ、様々な人格が生まれているからだと考えられます。
普通に生きている人の中では、そうした人格が複数生まれていることはほとんどないと考えてください。
人格が多いということはそこまでしないと生き延びられなかった人がいるという現実なのです。
もちろん、解離性同一性障害、は人格が2人でもDIDであることは変わりませんが、幼少期に何度も虐待を受けた場合人格交代の数も比例することは目に見えて明らかでしょう。
つまり、それほど深刻なのに、普通に生活できているとはとても考えにくいのです。
ですから、解離性同一性障害が起きてしまったことにしてファッションDIDにして自分の注目ために本来苦しんでいる人間に対して配慮せずに、偽った情報を晒すなどは悪質極まりないと俺は重ね重ね言いたいのです。
人格は、必ずしも協調的である保証もないし、人格がいたとしても自分の都合のいい人格になるかはわからない、さらに言えば、記憶が共有される保証もない。
たまたま、記憶の共有ができて協調をする人格がいたとしても人格がたまたま協調しているだけに過ぎないということです。
つまり、ナオに協力している俺という人格も、偶然に過ぎないということになります。
なぜなら、先にも申し上げた通り、人格は必ずしも良心でできているとは限らないし、俺みたいに、表立った行動をあまりしなくても、勝手に行動をして妨害してくる人格が生まれてしまう危険性もあるからです。
そうじゃないと基本人格に遠慮せずに、ずかずかと別人格が好き放題することができる理由もないでしょうし。(記憶の共有があるかに関わらず)
結論
まとめますと、ファッションDIDの危険性は、実際の患者の治療を妨げることになりますし、多重人格(解離性同一性障害)はれきっとした精神疾患であることです。専門家ですら、理解が難しい病気ですからOSDDに関してもまだ理解は進んでない部分は大きいのだと思います。
俺は本人(=ナオ)が自分を偽っているのではないかと葛藤しているようですが、俺はそれも含めて病理だと思っています。
なぜなら、演技であれば、自分が偽っているかもしれないと疑うこと自体本人の主観性ではできないですし自覚がありますし…。