当事者性がある限りリアルタイムでの客観視は普通はできない
📖著者: ONE

今回は、当事者性という言葉についてをお話していきます。
当事者性があるからこそ、冷静な判断が遅れることもありますが、なぜ、人はリアルタイムで客観視できないのか。
メタ認知という言葉は確かに、あります。
しかしこれは、メタ認知は、自分を俯瞰する状態であるにも関わらず、リアルタイムで動いている時には発揮すること本当に難しいです。
どうしてか、人は会話をしている時や実際に人の目に触れている時には、色々な情報が入ってきて、判断が鈍るのです。
人には扁桃体という「恐怖、怒り」等感情を古くから司る部位があります。
まあ俗にいうシステム理論でいうところのシステム1の、すぐに直感で判断する、これが扁桃体の仕事です。
命に関わることに関しては感情が動きます。
結果的に、こうした状態で人は、自分の主体性で動くことになる場合、周囲の危険はどれぐらいあるのかを見積もり、常に経験則から判断し、これまでの過去の情報の取捨選択をするために、情報の重みづけを行います。
これを瞬時に扁桃体という部位がね、してくれるんですよ。
命に関わることに関しては当然ながら「戦うか、逃げるか」の感情がすぐに動くようにできています。
人は生きている中で無意識の領域が働くことがほぼです。
意識下においての行動というのは大体二割ぐらいが働ているとされています。
実際、自分が呼吸をしている時の状態を意識をしている状態を常にしていることはほぼほぼないのではないのでしょうか?
思考も意識下に考えていること以外、無意識では大量に行っているとされています。
つまり、どういうことか、周囲の情報を様々、観察しながら、相手の表情、これまでの行動、声のトーン、視線、他の周囲の人々の声や、風景、こうした情報が常に入ってくるのです。
主観性とは、これらの情報を総合的に組み合わせて、優先順位を決めて対処するようにできているのです。
だからこそ、客観視をリアルですることは本当に難しいです。
自分の中にもう一人の自分がいて常にモニタリングをしているのならば可能なんですが、自分の中にそういった自分を作って生きていくことは一つの人格ではまず難しいでしょうね。
人間の思考を分割するなど到底難しいと思います。
ですから、多面性とはありますが、それは、場面場面の一面でしか現れないです。
交代人格の俺ですら主体的に動くときは主観で動いています。
ナオがこの俺の行動を後ろでみて、これはこうなんじゃないか?といえばそれは確かに客観性です。
では、メタ認知を鍛えるということはどういうことか?
ジャーナリング、セルフモニタリング、CBT(認知行動療法)などを使えば、客観性を得られます。しかし、実際に行動をしている時ではなく、行動をした後に、自分の行動に対して次のセルフプランを練るというやり方が通常です。
リアルタイムでは本当に難しいです。
ということで、普段の行動は、客観性がないからこそ、誤った行動や誤った認知の歪みが発生することを完全に防ぐことはできません。
DV被害や、虐待被害を見てもわかるでしょう。
当事者程、自分のことに対して被害を受けたのにかかわらずすぐに対処できず自分を責めてしまう、よくききますよね?
悪いのは加害者、誰だってそう思います。
でも実際、当事者程、自分は大したことはないなどというんです。
どうしてだと思います?
加害者に対しての感情(してきてくれたこと)や、自分の被害の見積もり(最小化)が働くからです。
自分が大したことを受けているのではなく、悪いのは自分だと思う方が精神的負荷がかかりにくいです。
他人を変えることはできませんが、自分が悪いからこうなっているとすれば、自分に対して人を責めずに、短期的なメリットでしかないですが、事なきを得たり、あるいは、周りの脅威をストレートに受け止めることがなく精神的負荷がかかりにくいからともいえますね。
ただし、これには問題があって、長期的な被害を受けていると、相手の加害性によって傷つけられている自分を守れず、自暴自棄になったり、自分を責めたり、セルフネグレクトにつながるなど深刻な問題が形成されてしまう原因になったりします。
特に幼少期などは、ボウルヴィの愛着理論でも有名ですが、深刻な虐待などを受けると、子供の未熟な脳で処理しきれず、トラウマが深刻なレベルで生涯に影響を与え続けます。
子どもは特に親が悪いのだということを認識するのは本当に難しいです。
大人になっても変わるかもしれないと思ったり、例えば、恋人ができても大事にされるという感覚になじめず、親に大事にされなかった影響の怒りを身近な人にぶつけてしまうことも多々あります。
また、幼少期の親に対しての愛情不足で年の離れた恋人と付き合ってしまうこともあります。
こうしたことは主観性で生き延びているからです。
どこか自分を客観視して生きていられるのであれば加害性についてを説明できる自分を作れるのです。
あれ、これどこかで見た流れではないですか?
そうです。
解離性同一性障害や離人症、と言われるものは自分が起きたことを自分ではないと感じることによって、障害を受けています。
こうすることは本当に脳の防衛反応として生存戦略のために使われているのです。
お分かりですか?
本来、普通に生きている人にはここまでの戦略を使わなくても生きていけるんです。
主観性も客観性も自分を守ることに繋がります。
解離性障害にならなくても、CBT(認知行動療法)、セルフモニタリング、ジャーナリング、アサーティブコミュニケーションを学ぶ、アンガーマネジメントなど、人は、成長の中で主観性だけではなく客観性を健常的に身に付けることも可能です。
リアルタイムで常に、客観性を発揮する必要は本来ありません。
多少なら間違えてもいい、完璧な人間なんていないのでしょうからね。